父想うとき父となる~人が何かに成るのは誰かのお陰というお話~

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謹賀新年
今年もダンナとヨメをよろしくお願いいたします。

(もうお正月過ぎて何を言っているのか…)

2025年は無事に幕を開けることができ安心した一方、2024年の爪痕を癒してくれる年に成ってくれと願わんばかりの日々です。

今年は誠実に。品行方正と言わずとも、常に清く正しい人間であることを心掛けてゆきたい所存。

こんな意識高い系目標を掲げるのには理由があり、そろそろ父親というものに成り上がるからである(成り上がらせてもらうと言った方が正しい気がする)。

常日頃より「働いているというだけで大人は凄い。子を育てる父母は更にすごい。」と、大変ながらも子を支え、育てているお父さんお母さんには最大の敬意を表していました。すごいよね、自分以外の人を支えるって…。

そんな雲の上の存在と言っても良いほど、「すごいな~」と思っていた存在に自分も成り上がろうとしているのです。

成り上がるというと「子を持つ人間の方が偉いのか!」と苦情が来そうですが、そうではなく客観的な立場(今回の場合は子からの視点)が違うステージになるということ。これって結構大変なことだと思うのです。

大学生までの間は“”により小学生から大学生まで成り上がらせてもらいました。

受験勉強等により力を付けたのは自分ですが、成れたのは親のお陰に他なりません。

一方、社会人になってからは少しずつではありますが大人として”自分”で成っています(多分)。自分で自分を律し、大人とは何かも分からず自分の理想へと進みます。

結婚してからは“ヨメ(妻)”により“ダンナ(夫)”へと成り上がらせて貰いました。ヨメなくして、今の僕無しです。

余談ですが、ヨメはヨメであり嫁ではありません。嫁は息子の妻を指しますが、ヨメは僕の奥さんを指します。なのでヨメはヨメです(語感で決めたから結構苦しい言い訳しないと日本語がおかしくなる)。これに則り、ダンナもダンナであり旦那ではありません。そんな偉そうな存在になれないよ…。

閑話休題

そんなこんなで今年、無事に産まれれば“子”の登場により私は親へと成らせてもらえるのです。またしても人のお陰…。いつも誰かのお陰…。

大人としてあれやこれやと悩むとき。そこにはいつも亡き父がいました。

というのも、不思議なもので節目には父が夢に出てくるのです。

そのおかげか、薄らいできた記憶が思い起こされ、

「こういうときはどうしていたのだろうか。」
「あの時僕にしてくれたコレはこういう意図だったのだろうか。」
「あの言葉はこんな想いがあったからなのだろうか。」

と、振り返ることができます。

まあ、全ては多分、maybe、おそらく、自分の都合が良いようにしか推察するしかありません。もっと深くコミュニケーションを取っておけばと思う毎日です。親の心、子知らずと言われているのに…。

親子のことに限らず、人はその立場に成って見なければ分からないことが多いと感じます。なぜ上司が、なぜ先生が、なぜ先輩が、なぜなぜ…と。

今まで培ってきた経験から考えることはできても、結局は自分の考えです。

話がふらふらと蛇行している。巳年だからか…。

話を戻すと、今年、無事に産まれれば父親に成ります。

考え込んでしまう性分であるため、方々からのアドバイスや情報を有難く咀嚼する一方、夢み心地な気分で「こうやって育てたい、遊びたい、接したい」と不安と共に考えが際限なく膨らんでしまいます。どうしても気が逸る。

節目節目に夢まで出てくる父に感謝し、僕も父に成れるよう努めたい。

まずはそんな一年にしたいと思います。

諸先輩方、X等で悩んでそうな素振りを見せていたらご指導のほどお願いします。

かなり喜びます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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この記事を書いた人

はじめまして!ダンナとヨメです!
都内に住む私達夫婦の生活記録…はたまた、それぞれの書きたいことを綴っているブログです。結婚式の話、新潟移住計画、他にも日記や趣味の観劇、仮面ライダー、戦隊モノに始まり、投資について記事にしています。サブタイトルにもあるように、将来的にはヨメの地元である新潟に戻りたい私達です。どうぞよろしくお願いします!

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