あなたは怪物か、それとも人か。劇団四季「ノートルダムの鐘」感想と考察【前編】~創立70周年記念!キャストさんの想い~

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こんにちは、ダンナです。

2023年7月14日(金)

劇団四季創立70周年記念日に「ノートルダムの鐘」を観劇しました。

観劇前のメモはコチラ。まだ観劇前と言う方は以下の記事がオススメです。一緒に楽しみましょう…!

さてさて、今回の観劇ですが、結論から申し上げますと「最高の時間」でした。

開始五分で泣いた。映画でも泣くことがない僕が泣いた。

そんな素晴らしい演劇を魅せてくれた劇団四季さんに敬意をはらいつつ、感想と考察を原作やディズニー映画とも比較しつつ語っていきたいと思います。

ネタバレを多分に含みますので、まだノートルダムの鐘がどんな作品かわかんない!という方はメモまでに止めた方が良いかもしれません。

目次

登場人物の整理

当日のキャストさんを含めた登場人物は以下のとおり。

キャストボード

カジモド(寺元 健一郎さん)

本作の主人公。フロロー弟とジプシーの子ども。

生まれながらにして障害を持ち、育ての親フロローより

「できそこない」の意を持つカジモドと名付けられた。

エスメラルダのことが好き。

エスメラルダ(山崎 遙香さん)

本作のヒロインにして物語の元凶。

自由を愛する美しいジプシーの娘。

権力に屈指ない勇気と真っ直ぐな物言いをするトラブルメーカー。

フィーバスのことが好き。

フィーバス(加藤 迪さん)

イケメン。フロローの下に仕える大聖堂警備隊長。

エスメラルダのことが好き。

フロロー(芝 清道さん)

カジモドの育ての親。

ノートルダム大聖堂で神に仕える大助祭。

秩序を乱すジプシーを嫌う。

しかし、エスメラルダのことは好き。

クロパン(白石 拓也さん)

ジプシーのリーダー。

陽気な踊りやパフォーマンスで楽しませてくれる。

主要な登場人物は以上です。

映画では石像たちが印象に残りますが、本作ではイマジナリーフレンドの域から出ませんでした。また、登場人物の属性が原作寄りだったり、映画寄りだったりしました。当たり前ですが、劇団四季版「ノートルダムの鐘」です。

ストーリのあらすじ

基本的に劇団四季「ノートルダムの鐘」を観たことを前提に話すため、ここではあくまでも振り返り程度にご紹介します。詳しいあらすじは公式HPをご確認ください。

街へ憧れを持つカジモド。

フロローが祭りは今年で最後だろうと告げると、一度も楽しめないのかと悲しみに暮れる。しかし、石像たちに唆され、街へと繰り出す。

ジプシーたちの踊りや歌で賑わう街。

一際目立つのがエスメラルダ。あまりの美しさにフロロー、フィーバス、カジモドが心を奪われてしまう。

一方、「醜い王様」を探すコンテストが開かれており、見ていただけのカジモドであったがエスメラルダに促され出場することに。

群衆はあまりの醜さに言葉を失うが、クロパンの一言により一気に「人気者」となる。

しかし、ある男が「醜いっていうのはこういうことさ!」という声と共にトマトを投げつけ、周囲が笑いに包まれると、皆がこぞってトマトを投げつけ始める。

しまいには縛りあげ、鞭打ちをするまでになり、次第に「嫌悪の対象」となる。

エスメラルダにより助けられたが、カジモドはトラウマを抱える。

仲直りしようと大聖堂へ向かうエスメラルダ。

そこでフロロー、フィーバス、カジモドに会う。

エスメラルダはフィーバスと恋仲になり、カジモドとは友人になる。

しかし、フロローの”救い”は受け入れられず、二人に嫉妬する。

拒絶されてもなお、フロローが抱く劣情は炎のように燃え上がり、何としても手に入れたいと思うようになる。

幾度かアプローチをかけるが、すでにフィーバスと恋仲であること、自分のものにはならないという事を受け入れられず、エスメラルダを魔女狩りにかける。

最後の最後で”救い”を受け入れるなら助けてやると持ちかけるが、エスメラルダに唾を吐き捨てられ、怒りに狂ったフロロー自ら火をつける。

その様子を見ていたカジモドは、様々な葛藤に悩むがエスメラルダの救出へ向かう。

しかし、時すでに遅く、エスメラルダは最終的に息を引き取る。

エスメラルダを殺したフロローが許せず、カジモドは大聖堂からフロローを抱え落とし、殺してしまう。

カジモドはエスメラルダの遺体を抱え、大聖堂地下で亡くなる。

(間違いがあれば指摘してもらえると助かります。)

劇団四季「ノートルダムの鐘」を見た感想

最後まで観た感想は「最高の時間を過ごせた」の一言に尽きます。普段は演劇よりも映画のほうが好きな僕でしたが、本作は映画よりも素晴らしい演劇でした。

開始五分で泣かされた…。

カジモドの障害

カジモドの”奇形”をどのように表現するのか。

これが僕にとって一番注目すべきところでした。

どうせちょっと猫背にして、歩き方を変えるだけだろうと甘く考えていました。

しかし、寺元さんの演じるカジモドは、普通の青年の姿で登場し、次第にカジモドの“奇形”を表現していく演出には感動しました。

あの過程を経ることで、誰がどう見ても見た目が怪物のカジモドが出来上がりという訳です。まあ、寺元さんがイケメン過ぎてイケメンだったんですけど…。

しかも、カジモドが縄を使い鐘を撞く様子も「まるで映画のカジモドのようだ…」と感動し、ここで二度目の感涙(この間、体感1-2分)。

映画至高派ではありませんが、アニメ映画に見劣りするくらいならアニメ映画を見れば良いやとなってしまうのかと恐れていた分、演劇ならではの表現で魅了してくれて感動も一入です。

音楽という言語

次に感動した場面は音楽かな…。

オープニング、カジモドの登場、フロローが悶える地獄の炎…音楽は言葉にできない感情を表現するのに最も適した言語ではある…そう確信させてくれる歌と音楽でした。俳優さんの演技力と歌唱力あってこその感動です。

ただひとつ、残念だな~と思ったのはBGMの音源が原因なのか、スピーカーの問題なのか不明ですが、音質が悪かったこと…。壁一枚挟んだような遮蔽感を覚えるオーケストラでした。歌が明瞭なだけに音楽が浮いて聞こえました。

雰囲気を崩さない舞台セット

音楽もさることながら、舞台セットと小物は素直に感心しました。

どの場面でも違和感のない基本セット、汎用性の高い柵、昼夜の表現が分かりやすい旗?布?、中央に煌々と輝くステンドグラス…。光の表現は特に目を見張るものがありました(ヨメ、熱弁)。

細かい場面で言えば、暗転明転のタイミング、陽の光の表現、音以上に伝わるショッキングな場面の表現などなど…例をあげればキリがないですね…。

俳優さんの演技力

俳優さんの個性も素晴らしかったかな…。

怒られてしまうかもしれませんが、山崎さん演じるエスメラルダはとっっっても「えっち」でした。フィーバス、フロロー、カジモド(は分かんないけど)が抱いてみたい…と思うのもよく分かる。すっごいえっちな踊り方、イヤらしさとかではなく“女性”のカッコ良さ、可愛さ、美しさ、全てを表現した踊りと演技であったと思います。山崎さん…とってもえっちや…。

寺元さんのカジモドは原作カジモドの表現を上手くされていて、難聴であることを初期より上手く表現されていました。特に好きな表現は歌声の移り変わり。上手く発音できないながらも綺麗に歌うカジモドが、次第に美しい歌声で歌い出すのは彼の中では美しく歌えている(そういう気分になっている)という表現なのかな?と思いました。

フロローが父親を蔑むような発言をする時に頭を叩く表現はきっと父親に悪感情を向けないようにしているのかな?とか、嬉しくなるとまくし立てるように話すところとか、細かい表現がとにかく多くて…すきぃ…ってなりました。

芝さんの演じるフロロー。実は映画や原作では好きになれなかったフロローですが、本作のフロロー(たぶん、芝さんだから?)は最後まで憎めませんでした。

誤解を恐れずに言えば、彼はきっと童貞を拗らせた童帝だったのです。

劣情をどのように処理すれば良いのか分からなかったのでしょう。

時代的に適した考え方か不勉強なため分かりませんが、無用な快楽を罪とするキリストの教えを厳格に守るフロローは、恐らく自慰をしたことがないのではないでしょうか。そのまま大助祭にまで上り詰めたため、女性というものを知らないのでしょう。

そこにえっち過ぎる山崎さんもといエスメラルダが現れたら、そりゃもう辛抱たまらんわけです。えちえちすぎる。踊りの時に手渡したスカーフは下着を表現しているのかな?と思ったのですが、どうなんでしょうか。考えすぎな気がする。

ジプシーの踊りについて調べてみたけど分かりませんでした。あれが下着なら仕方ないね!フロロー!って思いましたが、どうなんでしょうね!

加藤さん演じるフィーバスはイケメンの極み…。遠目に見てもイケメン、声もイケメン、雰囲気すらイケメン…。酷いもんだ…世界の残酷さを目の当たりにした…。

どちらかというと勇猛果敢なイメージがあったフィーバスでしてが、意外と弱々しいイメージでした。戦いに疲れた青年という感じ、権力に媚びたくなるお年頃…。

エスメラルダを抱えるカジモドから遺体を奪わなかった理由がわからず、なんでかな~と考えていました。なんでですかね??

最後にクロパン。白石さん演じるクロパン。

まるで物語の主人公かのような立ち振る舞いでしたが、あくまでもジプシーのリーダーでした。いやー、白石さんが主人公のような役者さんだからなのか分かりませんが、印象に強いクロパンでした。カッコイイよね、普通に。声が特に良い。

あと、衣装が良かったな…。ディズニー映画のような異様な道化っぽさはなく、しかし、陽気で楽しいエンターテイナーとしての装い。普通にかっこいいと感じてしまった…。

群集心理の移り変わり

感想の最後に、以前のメモで触れていた“群集心理”について。

あの短い舞台の中で群集心理という“怪物”を表現していて、劇団四季さん…すごい…!違和感なく移れるのすごい…!と思いました。

人の心は周りに流されてしまいます。

誰かが王様とたてれば皆して持て囃す。

誰かが醜さを嘲笑すれば侮蔑の対象として虐める。

誰かが情けをかければ…ん?これは映画版だけだったかな?

エスメラルダが「やめて!」と声をかけた後にもカジモドに対して唾?を吐く表現をしていたような…。

以上、語り尽くせませんが劇団四季「ノートルダムの鐘」を観劇した感想でした。止まらない。キーボードを打つ指が止まらないのだ…。

何とここまでで4000文字を超えるので、前編後編と分けることにします。

後編も近日中に公開しますので、読者登録かSNSをフォローしてもらえると助かります…。

後編はコチラ

観劇が好きな方に読んでいただきたい記事

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