今週のお題「マイルーティン」
今週のお題は「マイルーティン」とのこと。
ふむ、何かルーティンと言えるものはあるのだろうか。
決められた一連の動作、習慣的・定型的な手続きをルーティンと言うそうだが、私にはそういったものがあると自覚がない。
この記事を書くために色々考えたが思いつかず、暇を持て余したため本を読むことにした。すると無自覚・無意識であったが僕にもルーティンがあったのだ。
私は読書をする前にかならず「手を合わせる」。
それは何か信仰する対象への祈りという訳ではなく、ただ純粋に手を合わせ、心を落ち着かせているのだ。
読書により深い知識を得るは著者と同様程度の知識や思考が必要であると同時に、偏見や感情を抑える、いや、別次元へと置いてくる必要があると考えている。
もちろん、小説のような心で楽しむ読書にとってはこの限りではない。
読書をする前に、本に対して敬意を払い、その本をより楽しむために自分を作るのである。これは宗教的な儀式に近いかもしれない。
今回読んだ本のジャンルは「随筆」であった。
この場合、手を合わせることで「書き手になりきる」「文字に起こされた世界を想像する」といった自分を作っていたのである。
随筆の場合、書き手の意図や感動を汲み取るには、その書き手になるしかないのである。そこに私の感情や経験を介入させてしまえば、それは別の世界になってしまう。
そういったことを常々考えてはいたが、どのタイミングで切り替えていたのか把握していなかった。それが今回、手を合わせていることを自覚したことで言語化出来たのである。
なぜ手を合わせているのか。
他のルーティンではだめだったのか。いつから始めていたのかは正直分からない。なにせ、気付いていなかったのだから。しかし、このルーティンは確実に読書の質を上げている。そのように断言できるのは、「一度読んだ本の内容は大体覚えている」という癖があるからだ。
この癖はなかなかに便利で、研修やプレゼン等により知識を振るう時に本を開かずとも引用が出来る。
また、人に本を薦める場合にも、内容が似ていても小さな違いから相手にとり必要な情報はどれか取捨選択が出来る。
もちろん、一言一句覚えられない。そんな天才ではない。しかし、美味しい料理を食べた後に「あの味付けは多分こうだろう」「このような調理法なのだろう」と思い返して料理ができるように、本の内容を反芻することが出来るのだ。
読める本が増えると、より人生を豊かにしてくれると思う。
ルーティンというのは意外と侮れない行為であり、苦手を克服する一助になり得る。
私はそう考える。
「漫画は好きだが小説は苦手」
「読書は好きだが〇〇は苦手」
そういった人たちには是非、「その本を読むための準備」をしてみて欲しい。
その本に合った自分を作ることで、より抵抗なく読み進められると思う。
私のように「手を合わせる」行為を真似しても良いし、自分なりにルーティンを作っても良いかもしれない。
その本の扉を開く作法は人それぞれ在るのだから。
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