
こんにちは、ダンナです。
以前、以下のようなご報告をしました。時系列順に読んでもらえるとより感情移入してもらえるので、先に読んでもらえると嬉しいです(これから感情の発露が止まらなくなるので…!)。

子を授かり、あくせくと準備をはじめて、毎日を忙しいと思いながらも楽しんできました。
そんなこんなであっという間に時間が過ぎ、このたび子が産まれました。だいぶ落ち着いてからの投稿ですので、御報告が遅くなりました。
今回はダンナ視点で「夫が妻に出来ること」を出産報告も兼ねて綴っていきます。いつかヨメ視点からの体験談も投稿するかもですのでお気に入り登録するかSNSをフォローしてもらえると嬉しいです。
当日の様子を傍から見ていた夫視点なので、これから出産を控えている方にも役に立つといいなと思いつつ書いていきます。どうぞお楽しみください。
※身バレ防止のために若干のフェイクとボカシを入れています。ご了承ください。
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赤ちゃんのプロフィール
名 前:エケチェン(仮称)
体 重:3435g
身 長:49.2cm
誕生日:3月某日
性 別:男の子
だいぶ大きな子(らしい)が産まれたそうで、看護師さんや助産師さんからも「奥様頑張りましたね!」と言っていただけて、誇らしかったです。そうなのです。うちのヨメは頑張ったのだ…。本当に壮絶な戦いでした。本当にすごかった…。向こう2~3年くらいはお姫様扱いしなければと心に誓うほどに頑張っていました。
僕が産まれたときは3000gもなかったはずなので、相当に大きいな~とは思います。ただ、この重さにしても3時間ほど抱っこしっぱなしでも疲れないほどに可愛かったです。かんわいいのよ…うちの子は…世界一かもしれない…。
出産当日の流れ
陣痛かもと思った朝
陣痛を迎えた?と思ったのは朝。ここから僕らの緊張が走りました。とはいえ、朝の時点では「違和感がある」という程度で、陣痛なのか本人も怪しんでいました。傍から見るといつもと違う顔、姿勢、匂いなので、パートナーは気を付けてみるようにしましょう。
午前中は違和感を感じながらも各々やりたいことをして、お出かけをしたりしていました。まだ確信が得られないなかだったのでそわそわしながら…。
ヨメには「少しでも違和感があるなら病院に相談してみたらどうだ」と伝えたのですが、軽い生理痛程度なので陣痛ではないのでは…と思っていたそうです。まあ、そのあたりは僕ら男ではわからんからな~。奥様任せになってしまう。
急変した陣痛は昼過ぎに
しかし、事態は急変。お昼過ぎになると「あ、陣痛かも」と言い始め、あれよあれよと体調が悪くなり(というより痛みが強くなる?)、ついには横になっていないと辛くなりました。
陣痛かもの時点で病院には電話をして、夕方頃にくるよう言われたので準備開始。ヨメはInstagram集合知により得た知識で「陣痛が始まったらお風呂に入って、着替えも済ませておけ」を実施。さすがヨメ、余裕があるな~と思いましたが、頑張ってお風呂に入っていたのは伝わってきた。陣痛バックや入院セットは1か月前にはすべて揃えていたので、持ち込むだけでOKでした(これもダンナが東京にいるときに、ヨメが準備していたモノ。すごいね…)。
本陣痛か不明だったのでとりあえず病院に行き、ヨメの様子を見てもらうとそのまま入院。病院からの指示でダンナは一時帰宅してシャワーを浴びたり、日をまたいで朝までかかることを見越して朝食の調達などをしました。
長くつらい陣痛の時間
そんなこんな準備していると陣痛が本格的に始まり、ダンナが病院に到着したころにはぐでぐでに弱ったヨメ。この時点で一時帰宅により少し緩んでいた気が張りました。ヨメはずっと戦っていた。
陣痛測定アプリで「陣痛カモ」「オサマッタ」とカタコトになりながらヨメに代わり測定したことで「終わり」がいつなのかを測定していました。これがヨメの支えになったそうなので、皆さん是非…!(勿論、パートナーと事前に相談してください)
段々と意識がもうろうとしはじめ、睡魔と陣痛の繰り返しで髪の毛のぼさぼさなんて気にしなくなってきました。余裕のなさが伝わる。僕も支えようと必死に。
子宮口が9cm開いてからが長く、苦痛により声を荒げるヨメを必死にさすったり、足や手を揉んだりして何もできない無力感に打ちひしがれながら、「いきみたい」とヨメから合図されナースコールをして即座に分娩室へと向かいました。
これまでで最も長く感じた分娩中の1分
分娩室に入ってからは早く比較的早く産まれてきました。
看護師さんからも「いきみかた上手だね!」と褒められながらの分娩で、産まれた後も「はやかったね~!がんばったね~!」と言ってくれました。いやはや…無事終わってよかった。
陣痛が始まってから分娩室まで半日以上もありましたが、分娩での時間はそれよりも長く感じました。普段冷静なヨメが取り乱し、顔を赤く茹で上がらせ、頑張っている姿に何もできない僕。本当に長かった…。
つい「長く感じたよ…」とヨメに伝えると、ヨメには伝わっていたので「そうだね…」と返されたのですが、看護師さんから「早い方ですよ!」と怒られてしまいました。そういう意味じゃないよ…行間を読んでね…(某特撮の白いキャラ風)。皆気が立っているから仕方がないけどね、ちょっとイヤだったな。
分娩後、ヨメとエケチェンと僕の時間
その後はヨメが落ち着くまで僕がエケチェンを抱っこしていました(至福)。一生抱っこできる。一生。
体重測定やらなにやらが終わったのちにヨメとの雑談タイムは楽しかったです。本当にお疲れ~から始まり、名前どうしたい~?とか、顔みてみぃ可愛いよ!とか、色々話しました。この時間はあっという間2~3時間のはずなのに一瞬でした。寂しい。
その後僕はタクシーで帰宅し、即就寝。夫側も相当にメンタルがやられているのだとこの時実感しました。ほら、痛みを抱えるのはヨメだし、産むのもヨメなんだけどさ…。弱音は吐けないけど、夫側も相当やられるということは妻側の皆様も脳みそのごみ箱内にでも入れておいてあげてください。男はなにもできないんだけどね!
これが出産当日の流れです。今思い返しても凄い…。ヨメをお姫様扱いしなければ…。
以降は夫視点からのやってあげられること等について書いていきます。
陣痛中の妻を支える夫の役割:実践的なサポートと心構え
陣痛中に夫が出来ること
陣痛中できることはほぼありません
よく「男は何もできない」と両親や先輩パパママから聞きますが、本当にその通りです。何かサポート出来るかもと自惚れていたのが恥ずかしくなるくらいに「なにも」できません。
とはいえ、ヨメから「これをやってもらえてうれしかった」と言ってくれたことや、反応が良かったものを挙げます。出来ることはないなりに、気持ちを支えるのが僕らの役割です。
- 陣痛測定アプリで陣痛の間隔を測り、「今このあたりだよ」と伝える
- 太ももや腕、首などをさすったり、揉んだりする
- 安産を促すため「安産の腧(つぼ)」を押したり、揉んだりする。
- 写真や動画で記録をとる。(事前に話してあった)
- 水が欲しそうだと思ったら直ぐに差し出す。
- 手を握ってあげる。
太ももや安産の腧は助かっていたようで、僕自身も5~6時間ほどず~~~っと揉んだりさすったりしていました。不思議と疲れない。むしろやらねばならないと思っていました。
安産の腧について知らない人は調べてください。その位調べな!と当時の僕に伝えたいです。家族から教えられて「こういうものがあるのか~」と能天気に構えていた自分を殴りたい。そんな気持ちになる前に、是非読んでいる方にはこのあと調べることをオススメします。教えられるより、調べた方が罪悪感が無いので…。
まあ、反省点も多々あります。そちらはヨメが投稿してくれる予定です。ヨメ視点もどうぞお楽しみに。
陣痛時に必須のアイテム(絶対買うべき)
特にやっておいてよかった、準備しておいてよかったと思ったのは以下の商品。正直言えば「絶対に今すぐ買って欲しい商品」です。
飲み物は「お茶」「水」「スポーツドリンク」を用意しましたが、ヨメを見るにOSー1がオススメ。飲み過ぎて気持ち悪くなっていたので、少しでも吸収率の高いものが良いでしょう。「いきむ時も飲んだものが逆流しそうになったよ(笑)」と言っていたのでこちらも必須だと思います。塩分があったほうが良かったな~という感想があったので、OS-1でしたが、ヨメ的にGREEN DA・KA・RAでも良いかもと言っていました。
分娩中の妻を支える夫の現場:対応策と気持ちの共有
男は黙って手を握れ、千切れる覚悟で腕を差し出せ
これは僕の幼馴染でもあり、姉と慕う経産婦からの一言。前述しましたが、僕たち男がやれることはほぼないのです。これが終わってみて感じた素直な感想でした。
ヨメからは「あなたが隣にいなければ乗り越えられなかった」と言ってもらいましたが、乗り切れたのは偏にヨメの強さのお陰だろう。僕は結局何もできませんでした。
しかし、そう言っていただけた手前、他の方にも共有しておきたいことについて挙げていきます。
- 汗を拭いて挙げる
- 「痛いね。もう少しだね。」と手を握り、常に声をかける
- 途中で冗談が通じそうだと思ったら、おふざけで遊んでみる(これはダンナとヨメが特殊かも)
- 常に表情を見て、今何を欲しているのか手探りでもやってあげる
これだけ。本当にこれだけしかありません。あんなに長かった時間でやれることがこれか…と言う感じです。
冗談の件はダンナとヨメが特殊だと思いますので、注意が必要であるとだけ伝えておきます。陣痛が少し落ち着くタイミングがあり、そのときに手を握りながら「お父さん指はこういいました。はっはっは~がんばってくださいな~。お母さん指はこういいました。オホホホホ、お腹さすってあげましょうかね~。」と義父義母の物真似をヨメの指を使って遊んだら、少し気が楽になっていたのを感じ取れました(とはいえ、それ以降はそんなことやっている余裕なんてない)。
懐妊から出産までの思い出:二人で歩んだ道と家族
さてさて、ここまで長くなりましたが、出産まで色々ありました。
本当に大変な毎日だったけど、お互いをより深く知れる、寄り添える、理解し合える良い期間でした。

ダンナはこの記事以降、妊婦生活について記事にしていません。というのも、毎日を支えるので精一杯でした。
ヨメとエケチェンの栄養バランスを考えて朝昼晩と作ったり、必要な手続きや申請をしたり、里帰りに必要なモノや準備を進めたり、そしてヨメの生活が「妊娠したせいでつまらない、悲しいことが多い」とならないとう「楽しい、幸せ」と思ってもらえるよう努力していました。まあ、いつもやっていることに+α程度ですけど、それが意外と大変。
ヨメが先に実家に戻り、久々の一人時間が増えたダンナの心境を書いたのが以下の記事。

本当に寂しかったな~…。同僚たちからは「今のうちに遊んでおきな!」と言われましたが、そんな心境にもなれず、常にヨメと居たい、それが最高の幸せと誇張抜きで思っているので、辛い期間でした。仕事のやる気がなくなるレベルで…。
そんな二人の生活に、エケチェンが加わりました。よく引き合いに出す荒川ケンタウロスさんの「アンセム」に以下のような歌詞があります。
ボーイミーツガール
アンセム/荒川ケンタウロス
同じ船をこうやって漕いで来たから
航海を続けるならきっと
二人より賑やかな方がいいよな
喝采の拍手に包まれて照れかくしに笑う
僕らが歩いてきた道は正しかった気がして
空を仰いで見た 九月の夏の終わりの中
滲んで泣きながら笑ったな
結婚式の曲でも使いましたが、この曲に何度も支えられています。ぜひ皆さん、荒川ケンタウロスを宜しくお願いします!(最後はバンドの宣伝)

以上、ダンナ視点でのアドバイスでした。皆!頑張って!本当に頑張ってね!!!!!!
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