
こんにちは、ダンナです。
赤ちゃんのために必要な物の購入や新生活への諸手続きが一段落して、少し自分の時間が作れるようになりました。とはいえ、このブログを書いているのも電車の中で…と、いつもなら読書をして遊んでいる時間を使ってになるため、余暇を過ごすほどには程遠いです。
最近、ブロガー仲間さんの投稿で「お金の使い方について」の記事を拝見しました。某Youtuberも言っていますが、確かに、お金の使い方というのは難しい…。貯めるよりも難しいとすら考えています。
今回は、なぜ人はお金を使う(又は使わない)ことに対して、心が騒がしくなるのかについて色々と考えてみました。
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はじめに
皆さんはお金を貯めこむ人ですか?それとも使い切る人ですか?
私は貯めこむ人らしく、周囲よりはあまりお金を使いません。それに困ることはなく、むしろこれ以上どう使ったらよいのか悩む時すらあります。
しかし、一般的にはお金が足りない!と嘆く人もいたり、貯金が減るのが怖い!と不安に思う人もいるようです。
何故でしょうか?
それは恐らく”お金”に対して真面目に向き合う時間が、少しだけ足りないからだと思います。
勿論、僕自身も初めから今の状態であるというわけではなく、恐らくは皆さんより真剣に”お金”と向き合う時間が少しだけ長かったために、うまく付き合えているのだと思います。
今回の記事では不安に思っている方の”少し”を補えるよう、思考を整理してみました。ぜひ一緒に”少し”を補っていきましょう。
お金に振り回される理由
まずはお金が僕たちの心を騒がせる理由について、客観的に整理していきたいと思います。特に論文等からの引用しているわけではないので異論は認めますが、個人的には大別すると2つだけだと思っています。
一つは「心理的要因」、もう一つは「社会的要因」です。「心理的要因」では自分の性格が大きく反映される要因で、使う人と使わない人の差はここにあるのかな?と思っています。「社会的要因」は個人の性格だけでなく、他者の影響が大きく反映される要因で、局所的に心が大きく騒ぐのはこの部分かと思います。
心理的要因
心理的要因とひとくちに言っても、そこには相反する素因が内包しています。比率の大小に度合いがあれど、どんな性格の人でも両方も保有していると思っています。むしろ、極端な偏り方をすれば、ある時を分水嶺に比率が逆転します。これは書籍にも頻繁に挙げられる事象ですが、それ以上に私の経験則がそうであると確信させています。
では、どんな素因により心がざわつくのかと言うと以下の二点です。
・お金を使うことによる不安
・お金を使わないことによる不安
少し分り辛い言い回しかもしれません。
例えをあげるとするなら、刹那的な生き方が人生であり、楽しく生活するためには沢山稼ぎ、沢山使うことを是とした人が居るとします。
この人は、今まで「お金を使わない」ことに不安を覚えていたため、「お金を使う」ことへの不安が弱く、極端なことをいえば宵越しの金は持たない主義であったとしても、楽しく生きてこれました。しかし、年齢や仕事、ライフステージの変化に伴い、ふとした瞬間に老後の生活やパートナーへの責任、不慮の事故に陥ったときの無収入期間といった変化が訪れた際、後悔します。これに例外はありません(注意、経験則です)。
逆も然りで、「お金を使う」ことに不安を覚えていた人が若い頃から貯金や投資ばかりしてしまい、当初抱えていたお金の心配は薄れていくものの、「本当に今を犠牲にして良いのだろうか」と後悔します。これにも例外はありません(注意、経験則です)。
何事においても“中庸”であることが大切で、どちらかに偏りすぎると、いつかは崩壊します。お金は幾らでも稼げますが、時間は巻き戻せません。
そのため、自分にとりお金と中庸な距離感を見つけると言うのは、長くお付き合いを続けていく上では最重要課題なのだと思っています。
しかし、この距離感について真剣に向き合ってきた人はあまり多くないように感じます。好きな女の子をどのように射止めようかと真剣に悩む人は多いのに、お金とは向き合い辛いようです。照れてしまうのかな。
性格が大きく反映される要因であるとしても、工夫次第で上手く付き合えるようになります(後述します)。
社会的要因
次に、社内的要因です。こちらは性格よりも、他者からの影響を強く受けます。素因としては、ざっくりですが以下の二つが挙げられます。
・他人との比較
・社会的プレッシャー
どちらも他者が発生源によるもので、例えば他人との比較は今の人(特に10代-20代)には覚えがあるかもしれません。
以下はSNSと幸福度について記載された記事です。
一次資料に目を通せた訳では無いので話半分で読むべきかとは思いますが、少なくともInstagramやFacebookで投稿合戦をしている様子を見るに「幸せそう」とは思えません。
これは心理学でいう「社会的比較」と呼ばれており、比較することで自分の能力を評価したり、安心感を得ようとします。その一方、劣等感も感じやすいのです(ざっくり適当にそれっぽいこと話してみた)。
分かりやすい例として、幸せの国として有名だった「ブータン」は、今でも幸せの国として台頭しているかと言われると、違います。
当初は世界8位にランクインしていましたが、6年後には95位に転落していました。これは、情報鎖国状態から緩和されたことが要因であると言われています。情報が入ってきたことで「隣の芝生は青い」と思い始めたのです。
社会的プレッシャーについては昨今薄れ始めているかと思いますが、「家を買わなければならない」「結婚・出産のお祝いをしなければならない」「大人として恥ずかしくない服装をしなければならない」などなど、周りが自分に対してどのように思ってしまうのかプレッシャーに感じてしまうことはありませんか?
学生さんだと「後輩に奢らなければ」「彼女(彼氏)に良いとこ見せなければ」「みんなiPhoneを持っているから自分も持たなければ」などが当て嵌まるかと思います。
「~しなければならない」をお金に持ち込んだ時点で、そこに自分の意思はありません。振り回された挙句、次第に疲弊してしまいます(心も、お財布も)。
お金との適度な付き合い方
ではでは、どうしたら上手くお付き合いできるのでしょうか。
ヨメと僕の関係であれば話し合いをすることで適当な距離を掴むことは可能です。
しかし、お金は言葉を話しません。当たり前ですが。そういう相手とは大抵の場合、自分自身と対話することで活路が見えてくるのです。
私の場合、以下の3つにより上手く付き合えるようになりました。一つずつ偉そうに解説させてください。
感情と向き合う
あなたがお金に対して抱いた悪感情をそのままにしていませんか?
例えば「後輩に奢るの嫌だったな~」とか、「これ、無駄遣いだったな~」といった感情に対して、次は気を付けようと軽く済ませていませんか?
お金の貯めすぎについても同様です。お金を使いたいという欲を抑え込みすぎていませんか?
抱いた感情としっかり向き合うことで、自分とお金の適度な距離感を掴んでいけると私は考えています。気が置けない仲というのは程よい礼儀があってこそなのです。
考え方や視点を変える
次に、考え方や視点を変えてみましょう。心理学でいうメタ認知なのかな?
感情的に「これが欲しい!」「こうしなければならない!」と思っていることに対して、常識や偏見のない第三者の視点から現状を見つめなおすことで、それは「特別欲しくない」「そうしなくてもよい」と思い直すかもしれません。
例えば、成功者として見られたいからと高級車を買えば周りの人が尊敬してくれるのかと言えば、そうではないことに気づきます。大抵は高級車に対して視線が集まり、人は飽くまでもオマケです。Youtubeとかでアピールしている人がいますが、あれが軽自動車であっても同様の視聴回数が得られるかと言えば、難しいのではないでしょうか(誰とは言いませんが)。
本当に欲しいのであれば買うべきかと思いますが、考え直す必要はあると思います。
また、お金を貯め込み過ぎてしまう人は、もう一度生活費を計算してみると落ち着くかもしれません。
目標を決める
最後に、目標を決めてみましょう。これは将来後悔しないための策です。
どれだけお金を使っても大丈夫なのか、理想とする生活を送るためにはいくら必要なのか、など詳しければ詳しい程良いです。
勿論、目標を決めたら達成に向けて計画も立てなければなりません。目標とする生活を送るためには何年かかるのか、何が必要なのかなどなど…。
可視化することで「思っていたのと違う」という感覚が得られたのであれば是正しなければなりませんし、「思っていた通り」なのであれば安心して突き進めば良いのです。
大抵の不安は未知から来ます。
参考書籍
以下、書籍が僕の記事なんかよりも参考になると思います。
参考になった~と思った方は、ぜひその一歩先へ行くために一読をオススメします。
特に「貧乏人の経済学」は手元に置いて何度も読み返すのに最適な良著です。
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